アメリカ便り
子どもが運転免許をとるまでは、子どもの都合に合わせてあらゆるところに送迎をしなければならないTaxi Mom。
では子どもが運転免許をとったあとは楽になるのか・・と思いきや。
今度は、待機Momや心配Momになるのである。
両方とも私の造語であるが、待機Momは子どもに専用の車を与えない場合、心配Momは子どもに専用の与えた場合の母親の状態をいう。
子どもに専用の車を与えない場合、よくあるのは母親と子どもが車を共用するケース。
そうなると車の取り合い、という問題が生じてくる。
どちらの予定を優先するか、車の受け渡しの時間決め、ガソリン代はどちらがもつかなど、交渉や口論の毎日である。
子どもに車を貸したものの約束の時間に戻ってこないで家でじっと待つ、買い忘れたものを買いに行こうとガレージに行ったら、「そうだ車は貸していたんだわ!」と気づき子どもが帰ってくるまで待つ、と自宅に待機している時間が多くなり、自由に行動できない待機Momはストレスが溜まってくる。
一方、子どもに専用の車を持たせた場合、そのストレスはないが、過度の心配をしなければならなくなる。
いつ帰ってくるのか・・どこまで行っているのか・・事故にあったときはどうするのか・・等など。
もちろん車を貸している場合も事故の心配はあるのだが、子どもはMomの車ということで注意もするし、次に使えなくなると困るので、時間を守ろうともする。
見通しがたたず、予想がつかない子どもの行動を常に心配しなければならない心配Mom。
どちらの場合もたいへんそうで、この点では日本のMomは楽なような気がする。
もっとも子どもは18歳で家を出て自立する家庭がほとんどのアメリカは、親が世話をやく期間が決まっているから、いつまで世話をやくのか見通しがたたない日本の親よりは、やはり楽なのかもしれない。(M.S.)
イギリス人の友人が先日「日本のお母さんていいね」と言いました。
「どういうこと?」と聞くと、「子どもの目線まで体を低くして話しかけているから」と言います。イギリスではそういうことはないとのこと。
どんなふうなのか聞いてみました。
「大人は子どもに対して、立ったまま『上から物を言う』」というのです。
決して子どもの目線まで体を低くしたりしません。彼女の言葉を借りると
”Children should be seen, not heard”.
「子どもは目に入っていればいい。言い分を聞く必要はない」のだそうです。
彼女の目には、日本の教育が「子どもを一人の人間として扱っている」すばらしいものに映ったようでした。
私はでも、「逆に親が子どもの召使のようになっているケースも少なからずあるの」と言いました。子どものわがままを「はい、はい」と聞いてしまう親がいるのも事実ですよね。
実はその後、彼女の日本の教育に対する印象が変わってしまいかねないことがありました。
彼女が教える英会話のクラスに私が通訳として入ったときのことです。
私語の多さに収集がつかず、授業が中断してしまったのです。
イギリス人の彼女には、授業中に生徒が騒がしくて先へ進めないことが信じられないようでした。
2週間の最終日、彼女はついに「静かにできないのなら、ゲームはしません。
あと15分間、私は黙ってここに立っていてもいいんですよ」と生徒に言いました。
それを私が通訳して伝えたのですが、子どもは神妙な顔をして静かになりました。
子どもは言えば理解するのです。
イギリスのように「大人は絶対」とする必要はないけれど、せめて「人の話を聞くときの礼儀」だけでも身につけてほしいと思いました。
子どもの目線で話しを聞く、一人の人間として扱う文化なのですから、一人の人間としてふさわしい行いをさせることもできるはずですよね。(M.O)
アメリカに住んでいたときに覚えた楽しみがAntique Huntingだ。
ハンティングという呼びか方がピッタリくるほど、宝物探しは楽しい。
私が集めていたのはガラスの食器。
アメリカでは、「食器はガラス」といえるくらいガラス器が使われている。
一つずつ、状態の良いお皿やカップを目で見るだけでなく、クラックが入っていないか指で触ったり軽くはじいたりして探す。
探していたものが見つかったら、ディーラーやお店の人と値段の交渉。
これがまた楽しい。
値段だけでなく、お互いのこだわりや歴史を聞くことができる。
話し好きのアメリカ人は「買う」ことよりも「話す」ことを楽しみにしていると思ったほどだ。
まだ幼かった娘もいろいろな色のショットグラスやミニチュアの食器を集めていた。
お手伝いで集めた50セント硬貨でお店の人と値段交渉する術もいつの間にか覚えていた。
私よりも娘のほうが値切るのが上手い。
「私が交渉してあげようか?」と値段交渉役をかって出るほどだった。
交渉することは楽しい。
アメリカで学んだ「じぶん表現力」、嬉しい成長だった。(K.S)
I’m Taxi Mom」
「Me too!」(お互いやれやれといった表情)
こんな会話がお母さん同士でよくかわされる。
この「Taxi Mom」という言葉。造語であるが、子どもの送り迎えで、毎日あちらこちらに車を走らせなければならないお母さんを指して言う。
交通手段はほとんどが自家用車、というアメリカならではの言葉であろう。
私が住んでいたミシガン州でも、公共交通機関があるのは、ほんとうに中心地だけか、または長距離の移動のみ。
車がない家は皆無に等しく、高校生になれば自分の車で学校に通う生徒も多く、一家に2台以上はざらである。
学校へはスクールバスで家から学校までの送迎があるのが普通で、子どもが一人で移動することはありえないといっていいだろう。
そうなると、習い事や友達の家に遊びに行く、ちょっと買い物にいくという場合はすべて親の車でしか移動する手段はない。
こどもが一人ならばいいが、2人や3人ともなると、スイミング、体操教室、友人の家に遊びに行く子の送り迎えなどで、同じ日に4回5回と車を出すことがしょっちゅうある。
スケジュールとにらめっこで、長女をスイミングスクールに送り、その間に次女を体操教室に連れて行く、そのあと遊びに行っていた末っ子を友人宅に迎えに行って、体操教室に戻り・・・
そこでお母さん仲間に会って交わされる会話が、冒頭の一文である。
おしゃべりをしたいけれど、今日は「Taxi Mom」なの。だからもういかなくっちゃ・・のような具合。
この状態は子どもが自分の車を持つまでは続くわけで、「Taxi Mom」のロゴが入ったTシャツや靴下まで売っているほどだ。
大変だけれど、子どもとのコミュニケーションを図るのにはいい機会である。
特に会話がすくなくなるティーンエイジャーとは車での移動の時間がとても重要なのだとほとんどのお母さんたちは言っている。
また親たちを怒らせたら、どこにも行かれないということを子どもたちもわかっているので、「部屋を片付けないと、今週末モール(ショッピングセンター」には連れて行かないわよ!」と躾のための交換条件につかうことも度々・・・大変だけれども、親子の濃密な時間をすごせる車の移動。
今となっては懐かしい思い出である。(M.S)
アメリカの大学では、どのクラスでもプレゼンテーションが必須だった。
ビジネスを専攻していた私は、コミュニケーションのクラスだけではなく、経営、人事、マーケティングでも研究発表をしなければならなかった。
経営のクラスで仲良くなったシンディー(アメリカ人)は、とてもおとなしい女性だった。
静かにじっとたたずんでいる印象の彼女は積極的に発言するタイプではなく、プレゼンテーションは苦手だろうなと想像していた。
グループワーク発表の当日、私のシンディーに対する印象は一変する。
リーダーに選出されていた彼女は、実に堂々と、はっきりととおる大きな声でプレゼンした。
普段の言葉数の少ないシンディーからはとても想像できない立ち居振る舞い。
内容の構成だけではなく、聴衆の注意を集める技術も持っていた。
私は、あまりのギャップに驚いた。
授業の後、すばらしいプレゼンテーションだったと彼女に言った。
心の底からそう思ったのだ。
シンディーの返事は、
「本当に苦手なの。やらないで済むなら絶対にやりたくない」。
話を聞けば、小学生のころから授業にプレゼンテーションが組み込まれていたという。
嫌いなことだったけれど、数を重ねるうちに度胸がつき、失敗しながら上手になったようだ。
アメリカ人の学生の全員が上手なわけではない。
でも、プレゼンテーションというものは、「できなければならない」ことだと、誰もが思っているようだった。 (O.M)
先日、ウィスコンシン州から来た家族が、日本の小学校を訪問して色々な話をしてくれました。
アメリカの小学校のことで、日本の子供たちが一番「いいなぁ」と言ったのはランチの話。
アメリカの学校はほとんどが「カフェテリア」を設置しています。
子供たちはお母さんが作ってくれたお弁当(大抵はサンドウィッチ)を持っていくか、カフェテリアで出してくれる、いわゆる給食を食べます。
この給食がまた日本とは違う。
ショーケースに入っているメニューから(それも定食ではなくて、アラカルト)自分で選ぶのです。
一段と「いいなぁ」の声が高くなったのは、「飲み物」の話のとき。
「チョコレートミルク」が出るということがとってもうらやましかったそうで…。
このカフェテリア方式には良い面と悪い面があります。
悪い面はお察しのとおり「好きなもの」ばかり食べるということ。
給食で「食べなければいけなかったから」食べられるようになったものって皆さんにもありますよね。
日本の給食は栄養面での配慮が行き届いていますから、少なくとも1日1度はバランスの取れた食事が保証されるのです。
お母さんが手を抜いたとしても…。
カフェテリアの良い面は「選ぶ」という行為をすること。
「昨日はこれを食べたから、今日はこっち」とか、「本当はあれを食べたいけど、こっちのほうが体に良さそうだから」とか、「珍しそうだから食べようか」などなど。
子供は自分で考えるようになります。
どちらがいいとは言えないけれど、選ぶ行為を毎日することが「自分で考える」訓練になるのではないでしょうか? (O.M)
娘がアメリカンスクールの1年生になった時のことです。
先生からお手紙が来て「これから2週間かけて『恐竜』(Dinosaurs)ついて勉強します。」と書いてありました。
「あら、楽しそう!」なんて思っていた私は、毎日娘が持ち帰ってくるプリントを見てびっくりしました。
どの教科も『恐竜』に関することなのです。
算数のプリントは、恐竜の絵での足し算。「恐竜2頭がいて、恐竜3頭がやってきたら、全部で何頭になるでしょうか?」
国語(英語)の授業では、「もしも、私のペットが恐竜だったら」というテーマの作文。
美術ではもちろん恐竜の絵。
廊下には、恐竜の体の長さがテープで貼ってあります。
娘はお迎えに行った私に、廊下の端からテープをたどって歩いてみせて「こ〜〜んなに大きいんだよ!」とうれしそうに教えてくれました。
最後の日には音楽室での発表会。全員で「恐竜ブギ」を踊りつきで大合唱しました。
そして、図書館には恐竜のぬいぐるみが飾ってあり、そのコーナーには恐竜に関する本ばかりが置かれていました。
毎日とても楽しくて、娘は恐竜についてもっともっと知りたい!調べたい!と思うようになったのは言うまでもありません。これなら1年生でもどんどん調べていけます。
教科の枠を越えて、一つのテーマを学習する。
こどもの好奇心をくすぐり、もっと知りたいという向上心をあおり、
「知らないことを知ることは楽しいこと」という気持ちを子どもたちに芽生えさせる――学校のカリキュラムに感心した2週間でした。(M.S)
最近、学校での事件が多いですね。
通学途中の連れ去りも多発していて、「日本は安全」なんて言っていられなくなりました。
「犯罪先進国」のアメリカではどうしているのでしょう?
友人に聞いてみました。
まず、学校のセキュリティーについて。
・ケンカを減らすために警察官が学校に常駐する。でも、ちっとも減っていないようです。
ケンカは傷害罪ですので、起訴のためのペーパーワークが増えただけのよう…。
・麻薬犬が校内で探索活動をする。火薬と麻薬を探すためということ。
・金属探知機を設置する。常設ではなく、抜き打ちで。
どうです?
やりきれないですね。
高校の話ですし、すべての学校がそうだというわけではありません。
でも、そうでもしなければ子供の安全が守れなくなっているのも確かなようです。
家庭ではどうでしょう?
・子供を外で遊ばせない。親としてできるのは、いつも子供に目を配っていることとか。 通学途中は?
・スクールバスが家の目の前まで来る。家の玄関と学校の門の間はバスの中ということ。でも、最近はバスの中でのケンカが問題になっているよう。
知らない世界のことではありません。
何においても日本の一歩先を行っているアメリカのことです。
これだけは追随したくないですね。
親だけでなく、学校と連携して対策を立てることも必要でしょう。
そして、「ご近所」の力も借りるべきではないでしょうか。(M.O)
先日、アメリカ人の先生から生徒さんたちの「作品」を見せてもらいました。
ムービーです。グループに分かれた生徒たちが、自分たちでシナリオを考え、粘土に演技をさせるクレイメーションを作ったり、自分たちで演技したりします。
12〜14歳で行うプロジェクトとのことでした。
何に驚いたかというと、「科目の境界線がないこと」。具体的な流れを、あるクレイメーションで説明します。
まず、Social study(日本でいう生活科でしょうか)でエジプトのことを調べ、English(日本でいう国語ですね)でシナリオを書き、図工で粘土の人形を作り、技術(コンピューター)で映像を作る。ひとつのプロジェクトにさまざまな教科がかかわり、実際にリサーチして行うのでしっかり知識として身につくといいます。
大まかなテーマを与えられたら、生徒たちはどのような形でプレゼンテーションするのかをグループで話しあい、役割を決め、作業のおそい生徒には、「シメキリを守って」と他のメンバーが注意をする――もちろん相談すれば先生の助けはありますが、基本的には生徒だけで作り上げるということでした。
BGMを入れ、吹き替えも生徒たちでやるので、独創性や演技力も求められるようです。 これが、本当にスゴイ!! アウシュヴィッツの悲劇をあつかったムービー(小学校6年生の生徒たちが演技をした)を見て、私は泣いてしまいました。
話の筋は理解しやすく、演技やナレーションもプロ顔負けの出来だったのです! ○○年から××年の間に何人が殺されたとリサーチした数字もキチンと折りこみ、悲しみの表情は本当にそのままに、(「照れ」のないのが良かった)、銃を撃つナチスの役の子供たちも真剣に演じていました。
なぜこうしたプロジェクトができるのでしょう?
科目の壁を取り払うからでしょうね。
学年が始まる前にすべての教科の先生が集まって計画をたてます。この作業は先生方にも大変なことのようですが、これが「教育だ」というのです。
生徒の知識としてしっかり残ればいいと…。先生たちのコミュニケーションがなければできないことですね(M.O)。
現在、アメリカの教育現場で問題になっているのは、「予算」です。
アメリカの公立学校は、州からの補助金とそのSchool district(学校区)に住む住民が納める(企業も含む)税金でまかなわれています。ですから、税収の多い学校区とそうでないところとでは、教育の質に差がでるのです。
貧しい学校区にはお給料の少ない、ということは、経験の少ない先生が多くまわされます。先生の数は決まっていますから、予算が少なければ必然的にそのような手段をとることになるのですね。ですからアメリカでは、「どの地区に住むのか」が子供の教育にとって大事な選択になるのです。
ここ数年、特に予算が厳しくなっているそうです。ブッシュ政権の方針と、景気の停滞が大きく影響しています。大企業が免税の対象になり(ビジネスを維持させるためということで)、住民の納める税金が減るなど、そのときの景気で教育現場の状況は大きく変わるのです。
そこで、子供たちにはどんな影響があるのでしょうか?
テキサス州の友人のところでは、美術や音楽などの授業が大きく削られました。郊外にある「自然教室」のような施設も閉鎖されてしまったそうです。先生の数も減らされています。そう、美術や音楽の先生が真っ先に…。
保護者はこの状況をどう見ているのだろうと思ったら…。親の心配は教育の質より先に「安全」だと言われました。学校では、ギャング(不良:暴力はかなり激しい)、銃、ドラッグと、成績より先に心配しなければならないことがあるというのです。
親は働くのに忙しく、あまりPTAの活動もできないようです。働いて、税金を納めて、教育に使ってもらう…。そうでなければ教育の質があがらない。生徒数の少ない、生徒の自主性を大事にするアメリカの学校にも、問題はたくさんあるようです。(M.O)